観劇感想『さらばコスモス』 2018.10.6(sat)

 

 あらすじ『「世界の成り立ちはどこから?」昔々、人々は想像した。神話を生み世界を創った。 ある日事件が起きる。三人家族の父親が殺された。死体の頭は真っ二つに割られていた。娘と母親、事件を追うジャーナリスト、死体を解剖する医者。真実を究明する四人と空想の神々がリンクしていく。』 (フライヤー記載一部抜粋)

 

 アフタートークで「よく『ダンスをされているんですか?』と聞かれることがあるんですが、そういう経験は無いんです」と本坊氏が話されていたが、あの激しい動きと台詞量が続く中でもぶれない身体能力は、確かにそう聞きたくなるだろうなと納得するほど見事だった。

 

 物語の中で何度も出てくる「灰白色の地層」が、初めは何を意味するかは分からないけど、とても綺麗な表現だなと思っていた。

だが、徐々にそれが「人間の脳」を表現していると分かった時のあの身の毛がよだつ思いと、同時に「人間の脳が世界を創る」というニュアンスに、ストンと腑に落ちた感覚は妙に心地よかった。

 

 今こうして感想を書くのも、手や血液や筋肉という「書く手段」がある以前に、「想像する」為の脳が無いと始まらない。日常を過ごす中で意識することはほとんど無く忘れているが、当たり前のことではないはずで、医者ならではの着目点なのだろうと思った。

 

 私と誰かの会話が成り立つのは、偶然世界がリンクしているだけであって、全く別の世界で生きている人とは成り立たないのかもしれない。

 私は私を基準に生きている。だから、今見て感じて話して生きている世界が正しいと信じるしかないが、また別の誰かの世界が正しい世界なのかもしれないし、それがそうであるともそうでないとも決めるのは、結局自分しかいない。

 精神疾患であると判断される彼ら彼女らの妄想だと言われる世界が本当の世界で、本来異常は私たちにあるのかもしれないのに、異常を抱えた人間の方が多いが為に少数の正しい世界が排除されているのかもしれない。

 

など、現実とか妄想とか想像の境界線があやふやになるような、不思議な世界観だった。