観劇感想『爆心ツアー7』 2018.11.25(sun)
あらすじ『感情・存在・記憶・自我・目的・選択・意識の波紋。七つの振動の飽和点に、生命は誕生している。物体の縛りが消失し観念のゆらぎだけが満ちるビッグバンの爆心地で、あらゆる謎が明かされてゆく…』(フライヤー記載抜粋。)
カケルの右奥歯に仕込まれたとあるものに吸い寄せられるようにハレー彗星が接近、ハレー彗星と地球の衝突を防ぐ為カケルを摩訶不思議なメンバーと共に宇宙に放り出し、そのことによって地球消滅は回避された、かと思いきや…。という展開から物語が始まる。
神様がサルを人にするまでの経緯に皮肉を交えていたり、宇宙と地球の時間の流れの違いからメールが届かなかった旨が15年越しに伝わる切なさだったり、ミトコンドリアという一通の手紙が永遠と受け継がれているという表現が美しいと感じたなど、シーンごとに例をあげたらキリがないくらいボリューミーな内容と濃さが混ざった、あっという間な450分。
森田のじじいの「トマルに会いたい」という、とてつもなく強い感情が宇宙のバランスを崩す根本になる。それだけ聞くと「そんな馬鹿な」と思うかもしれないが、人間の内側に秘めた見えないエネルギーは時に想像をゆうに超えてくる。
そして、そんな想像や空想を描いても、今回の物語のように実際形にするまではきっと難しい。
SFに関して知識が無い為、途中からは勝手に「宇宙」=「個人」と変換して物語を見続けていた。「宇宙」と聞くとどうしてもスケールの大きな話のようで、「個人」に変換すると不思議なことに小さな話のように一瞬は感じる。
けど実際はどんなに科学が進歩しようと、憎悪を抱いた人間でも笑顔だと見抜きにくいし、心根が優しくとも怖い顔だと気づきにくいように、人間という存在が宇宙よりも解明しきれない歪な存在なのかもしれない。
「何の為に自分は存在しているのか」その問いを考えたことが無い人も、既に放棄している人も、生きている間ずっと悩む人も、死に際に無理やり自分を納得させる人もいるだろう。そうやって果てしない問いに悩むのも歪な生命体の特権で、哀れで、いじらしく愛おしい。
1年以上という歳月を経て生まれた物語のせいか、不思議と登場人物たちが役者から自立して存在しているかのように感じ、物語が終盤に近づくごとに自分たちが消滅することを恐れ嘆いているかのように思えた。
今回「爆心地」と呼ばれたあの場所に、カケルやトマルなど彼ら彼女らは確かに存在していた。彼ら彼女らは幕が下りると可視化できなくなってしまうが、それは「役」として生まれた「人格」が消滅するのではなく、脚本家の想いを舞台で具現化している役者たちの中に、彼ら彼女らは溶けて混ざり、今を生きている役者たちの中の一部になるだけで、寂しさはあっても悲しむことではないのだと思った。
独房で観ることしかできなかったが、最後まで見届けることができて本当に良かった。