観劇感想『デペイズモン』 2018.11.3(sat)
あらすじ『どこまでも続く行き止まり 本当にここから出たいのだろうか 私の中にいるみんな、愛おしい 解離性同一性障害の病に苦しむ妹 支えようとする兄 彼もまたアルコール依存症の病を抱えている』(フライヤー記載抜粋)
一つ一つの所作が全てマイムなのだが、鍵の位置、扉の重厚感や種類、それらが丁寧に伝わってきて、尚且つ美しいと感じたのは初めてだった。
ほとんどの役者が一人で複数の役を演じている。私の観察不足なのだが、公演が終わるまで「この人がこの役をやっていたの!?」と気づかない方がいた。役から役への切り替えが凄まじい。
幼少期に優秀な兄と比べられ、親の愛をまともに与えられなかった妹。幼い子供からしてみれば親は神に等しい。それなのに「お兄ちゃんはできるのに、なんでこんなこともできないの」と、自分の存在を否定される言葉を浴びせられることが日常であったのなら、精神が壊れてもおかしくない。
逆に、親や親戚に期待という圧力を受けて育ってきた兄。「雀が鷹になれるわけがない」と吐露する場面があるが、きっと誰にも弱音を吐けずにずっと抱えてきたのだろうなと感じる、苦し気な言葉が印象的だった。
妹が救急搬送された病院には、妹と同じように精神面での病気を抱えた様々な患者がいる。症状は違えど、皆自分という存在の価値を低く見積もっているように見える。自己否定する患者を、医者や看護師たちは否定する。
時々、高圧的な人格に変わった時の妹や、他の患者が感情をコントロールできずに怒りの言葉を医者たちにぶつけることがある。けど、医者たちは反論をせずに、ただただ患者が落ち着くのを待つ。どちらも人間で、どちらも傷つくはずで、でもこれ以上患者の気が落ちないように引っ張らないといけない立場も辛いだろうなと、見ていてやるせない気持ちになった。
兄が、妹を見守りながら自分のアルコール依存症を治すために、妹と同じ病院に入院する覚悟を決める。大人になってから別々で暮らしていたであろう二人が病院で向かいあって食事をする姿が、微かな希望を指しているようで、最後に少しだけ気が楽になって終わって良かった。