観劇感想『なのか』 2018.12.22(sat)
あらすじ『人間はなにかに依存しなきゃ生きていけない生き物だと思います。死は軽く選べる選択になっていて好きは見返りを求めてしまったら最後どうなるのか。ふつうを追い求めた人間のふつうの物語。』(パンフレット記載抜粋。)
物が乱雑としていて、生活感のある舞台。女性が何か苛立った様子で、床に置いてある半紙に墨汁をつけた筆で書き殴る。「食べる」「寝る」「死ぬ」と書かれたそれぞれの紙を顔に貼り付け、その時その時の状態を表現する。「こうやって分かりやすくしないと何やってるか分からないって言われる」という言葉は、一部の人間に訴えるような思いが込められているように感じた。
ふつう、に執着する女性。ふつうの彼氏とふつうの家庭を築いてふつうの暮らしをしたい。日常会話でも多様されるこの「ふつう」とは一体なんなのか。私個人は、「世間の常識」を「ふつう」と呼び、「ふつう」は時代によって変わってくるものだと思っている。今の「ふつう」は恐らく、男女が結婚して子を授かり生涯を共にするのがまだ主流なのだと思う。けど、観ている限りその女性は「ふつうになりたい」というよりかは「幸せになりたい」と言ってるように見えた。
女性は、暴力を振るう彼氏と別れ、新しくまともそうな彼氏を探し見つけるが、その彼氏はパチンコ中毒だったというから笑えない。付き合い始めたからといって彼氏の中毒が治る訳もなく、記念日にはパチンコで勝ったお金が入った財布だけを置いてパチンコに出かけてしまう。はっきり言って彼女は惨めでしかない。彼女にとって彼はいなくてはいけない存在(=依存状態)なのに、彼にとって彼女はいてもいなくてもいい存在で粗末に扱われているのだから。
紆余曲折したあと、彼女は彼の一番になれなかったという理由で自殺する。死ぬのにも理由や覚悟やエネルギーが必要で、その材料が欲しかったのかもしれないし、幸せになれない絶望から抜け出すのに疲れてしまったのかもしれない。