観劇感想『身近き、短き、家族かな』 2018.6.16(sat)

 

 あらすじ。『小さな家に思い出を持ち寄り集まる「家族」。らしさを求め、語り合う彼らに与えられた時間は二日間だった。それはママゴトか生活か? 家族間の距離を描く物語。』(フライヤー記載抜粋)

 

 50歳過ぎの男の家に訪れるのは、男を「お父さん」と呼ぶ女性三人と男性一人。この男女は「本物」の家族ではなく、いわゆるレンタル家族の派遣でやってきた「偽物」の家族。

 誠実そうな長女役にマイペースな次女役、自分を見てほしい三女役にムードメーカー的な長男役。彼ら彼女らは実際ありそうな家族を演じるものの、やはり最初はどこかぎこちない。

 雇い主である男は、どこか頼りなさげで謝ってばかり。人との距離感がいまいち分からない不器用な男性。

 

 やってきた彼女たちは、男達が風呂に入っている最中に一人一人『本当の私』を少し語る。辛かったり苦かったりするそれぞれの思い出や過去。(次女だけは「私の家族は普通だ」と本人は言う。)

 孤独が嫌な者や愛されたい者。それは自然な欲求であるものの、過去にそれが満たされなかった分、満たし方が分からないように見える。派遣側の人間も、どうやら皆が皆器用では無いらしい。

 

 布団の間にこけしが挟まっているのを見つけた長男役や次女役、三女役がこけしのことについて色々と詮索するシーンがある。男曰く、自分の子供が小学校に上がるたびに元妻から贈られてきた物で、その行為は自分に対しての「復讐」だと言う。

 「復讐」させるような行為を男が元妻にした覚えがないと出てこない言葉であるものの、あの気弱そうな男が何をしでかしたのか。過去には今と違い暴力的な男の姿があったのか、精神的に元妻を追い込んだのか、それとも男がただ考え過ぎているだけか。

あまり男のことに関して多く語られていないが故に、様々な可能性を想像する幅が広がる。

 

 観終わったあと私個人の印象として、終始しんみりとしている訳ではないのに、物語の土台から切なさが離れないように感じた。もしかしたら、孤独を埋めるために始まった『家族』がいずれ終わりを迎え、また男が孤独になることが最初からわかっていたからだろうか、と思う。

 それから、孤独を埋める代行なら恋人でも友達でも良かったはずなのに、男は『家族』を選んだ。

癒しや愛情ではなく、恐らく暖かさを求めた男の人柄が垣間見えて、何があって今こうなっているのかと考えると、どこか苦しい。

 

 『家族』最終日、男からの言葉が三女役に直接伝わらないのも見ていて辛く、長女役の「伝えておくね」が優しく残酷だった。

 長女役、次女役も後ろ髪を引かれる思いで別れを告げ出ていく…が、次女役が一人だけで戻って来てこけしを手に取り「これは復讐なんかじゃない」と男に言って再び去る。そんな言葉を投げかけた可能性としては、彼女が男の実の娘で母親の真意を知っておりただ事実を述べたか、男が抱いている(ように見える)罪悪感を少しでも軽くしようと思った彼女なりの優しさか。真相はわからないが、男が背負っている苦しみが少しでも減れば良いと願っている私がいた。

 

 再び独りに戻った部屋の中、長女役が持ってきた白い紫陽花だけが残っていた。きっとその紫陽花が枯れても、白い紫陽花を観る度に男は、特別な二日間を思い出すのだろうなと思った。