観劇感想 劇王Ⅶ(2019.11.30~12.1)
『卒哭忌』(えふ・えいち 愛媛県)
母親を亡くしたあとの、姉妹の話。
姉、妹、叔母の3人が登場する。3人はそれぞれ三角形の頂点となる位置に立ち、互いの身体を向き合わせて台詞を放つ。素朴な演技がリーディング公演のような形で進む。この作品を観終わったあとふと幼少期に初めて葬式に参加した日のことを思い出した。自分自身に悲しみは無かったものの、母親が泣いている姿を初めて見て驚いたことは今でも覚えている。大人は泣かないし何でも知ってるし、いずれは私もそうなるのだと思っていた。けど大人になっても成長する気がなければ成長しないと痛感したし、なんなら我慢ばかりを覚えていくように感じる。例えば、泣くことはみっともないとか恥だとか。タイトルの卒哭忌は100日目に行う法要のことらしく、大声を上げて嘆き悲しむという意味らしい。大切な人や身近な人が亡くなった時に泣かないのを非情だとは思わないけど、泣きたいのに我慢するのはまた違うとも思うと、そう思わせてくれる作品でした。
『ブラックジャック』(劇団まんまる 徳島県)
舞台は宇宙船。船長が乗組員の女性二人に振り回される物語。
コントチックな物語が特徴的な劇団まんまるさんらしい脚本で、今まで観た中で一番好きな物語だった。船長の安定感と、女性陣の馬鹿馬鹿しい内容を大真面目に、恥じらうことなく演じる姿が安心して笑うことが出来て良かった。奥ゆかしさとは一体…。「面白さ」は人によってツボとか定義とか異なると思うけど「笑い」という点を重点に置く物語は観客側(勿論演じる側)も緊張する部分があるように思えて、それはあの小さな空間に共有する中で「笑い」という空気が一番良くも悪くも分かりやすいからだと思う。伝染もしやすいけど途切れやすい。そして面白くないと居心地が悪くなる。だから人を笑わせることが出来る演技ができる人は純粋に尊敬します。勿論そういうお話が書けるということも。
『ごみばこ』(絵空事 高知県)
今年の蛸蔵ラボで上演された作品を役者も性別も変えての参加。
結局のところ、脚本を書かれた本人にまだ答えを聞けていないからわからないものの、彼女達(又、彼ら達)は右脳と左脳みたいな人間の内部の話なのか、それとも審査員が言っていたようなPCみたいな全く別媒体の話なのか。気にならないと言えばウソになるが、人間にも曖昧な部分があるように、物語にもそういうものがあってもいいのかなと思う。勝手に解釈していいのであれば、記憶というものは箪笥のようなものだと思っていて、普通に空いたり厳重に鍵がかかっていたりと記憶の重要さや経過とか様々な要因でその収納の方法は違うのだけど、要は整理されてはいて。田坂さんの「護美箱」と書かれていたそれもそういうことなのかなと。散らかったままだとこんな風に考えられないから、脳内には一定の美しさを護る為の箱があるのかなと、だからあの形になったのかなと感じました。
『チラシ御免!』(株式劇団マエカブ 香川県)
チラシを投函する仕事をしている先輩と後輩の物語。
チラシを1枚投函するごとに2.5円。100件投函してもたったの250円。そのような仕事で儲けることが出来ると自身満々に言う先輩と、最初は素直に応じていた後輩。徐々に労働時間と合わない対価だと気づき始めつい100枚分誤魔化してしまう後輩に対して、淡々と100枚分の給与を差し引いた上に「お前のこと、期待しているから」と言う先輩。この仕事に生きがいを感じている、というような言葉が嘘ではないと思いたい反面、この仕事しか出来ないからここでしがみついてしまっているのかなと思ってしまいなんとも切なく感じる。けどそう感じたのはゆっくりとどんな物語だったかなと思い出した時からで、物語を観ている間はただただコミカルにテンポよく演じる役者たちに魅了されていました。
『おむつてんてん』(演劇ネットワークOffice59 愛媛県)
母と娘がビデオ撮影する物語。
ベッドに見立てた台の上に女優2人が観客側に向かって並んで座りながら会話をする。主に娘が母親に質問し、それに答えていく形。父親との出会いや結婚した理由など、日常的に過ごす中では恐らくなかなか気恥ずかしくて聞けないような話。ただただ両親の昔話を聞きたいだけならお茶でも飲みながら会話をすればいいのに、何故ビデオの撮影をしていたのか。母親との別れの時がすぐそこまで迫ってきていたのか。今この瞬間を逃したら聞き逃してしまうかもしれないと思っていたのか。会話する中で母親が結婚した理由を「一緒にあなた(娘)に会いにいってくれると思ったから」と話す。そんな母親とは対照的に「今はね、一人でも会いに行けるんだよ。きっと会いにいくから。待ってて」とまるでシングルマザーになるかのような言葉を残す娘。昔と今の時代の違いを見ているような感覚でした。
『元男の子』(シャカ力 高知県)
今年のカブフェスで上演されていた作品を、役者を一人変えての参加。戦争へ赴くまでの話。
赤紙を持った社会人男性二人が会話も動きもほぼノンストップで物語が進む。登場のインパクトが絶大で、あの歌は気が緩むとしばらく脳内でリフレインします。頭に残るフレーズとか歌とか作れたり、ヤクルトとかジップロックとか長縄跳びとかを笑わせる材料に使うことができるのって凄いですよね。少し幼さを残してじゃれ合うような演技で緩和されるものの題材は至って真面目で、戦う理由を作ったのはどちらなのかという純粋で残酷な疑問を片方にぶつけて、結局曖昧にしてしまうのも大人ってこんなものだよなと思ってしまったり。大人になると忘れたり隠したくなる子供心を失ってません!という主張がされているようなイメージの脚本と演技で毎回楽しませてもらってます。
『断琴の交わり』(創作集団「ココロノコリ」 徳島県)
元同級生が死刑直前の殺人犯になった新聞記者の男の物語。
タイトルが「最も心の通い合う友情」という意味らしく、まさにそこに全てが集約されていました。使われている曲や台詞回しがシックな雰囲気を醸し出していて、映画やドラマでは観たことがあっても演劇で観ることは今まで無かった色合いでとても新鮮でした。類は友を呼ぶと言うように、自分に似たような友人が多いけど真逆のような友人が一応私にもいて、きっとそれは彼女が私が持っていない部分を見せてくれる貴重な人間だからなのだろうなと思う。そんな彼女が殺人を犯した時、私に会う度胸があるだろうかと思うとなかなか難しいと思う。だからこそ記者の彼がなんだかんだ言いながらも殺人という罪を犯した友人に会いに行き、記者のその後の人生に大きな影響を与えたのは断琴の交わりゆえだったのかなと思いました。彼という存在が無かったことに出来ないほどに。
『ツイノスミカ initial』(Unit out 愛媛県)
一人暮らしのお年寄りの家に電話をかけて生計を立てている姉妹の物語。
両親は既に他界していて、両親の仕事を引き継いでいた二人。けど姉は亡くなったはずの両親に縛られているような感覚から脱したくて、妹に別の家へ引っ越そうと提案するが、妹は頑なにそれを拒む。
過去に祖母の思い出の品を勝手に燃やした父親。ドラム缶の前で燃やされている様子をジッと見つめる祖母の横に妹はいた。姉は過去は過去と割り切れる(割り切りたい)性分のようで、妹は割り切れない(割り切りたくない)性分のように見えた。仕事で命が途絶える瞬間を何度か味わいその度にプチ家出する妹だが、両親が残した仕事を手放せないといういじらしさがあった。Unit outさんの日常の延長線上にあるような自然な空気感はいつ観ても素敵だなと思いました。