観劇感想『数式でせつめいする希望』 2019.2.16(sat)

 

 妻に先立たれた男性(以下:野田)が自分とまだ幼い息子の為に、新しい妻もとい母になってくれる女性を探していた。婚活で見つかった二十以上も年下の女性(以下:菅)は「半年だけは一緒に住むが、半年は勝手にさせてもらう」という条件を野田に提示する。普通ではないその条件を飲むか否か迷うまま、菅の提案でお泊り旅行にやってきて…。

 

 普段のシアターねことは全く別の姿に作りこまれ、ウッディなコテージという設定を見事に具現化させた舞台。役者が動ける場所を自ら狭めたことで、普段観るような舞台よりも役者の表情や空気の変化が感じ取れやすい気がした。

 

 好きなことを真ん中に置いて人生を歩めている人はどのくらいいるのだろうか。皆何かしら好きなことがあっても、それ以外の時間に費やされて好きなことと向き合う時間が取れない人の方が多いのではないかと私は思っている。生きる為には対価としてお金がいる、だからあくせく働く。自給自足が出来たらいいのかもしれないけど、それに慣れるまでにも技術や知識を得る為の時間や、準備の為のお金がかかる。だから誰かの下で働いた方が色々と面倒なことが省けるから楽で、でも生きていく為の生活費を稼ぐ為に好きなことができなくなっていく。だから、菅みたいに半年という制限時間はあるものの、好きなものを中心に置いた生き方を私はすると言える人間が、我慢して生きていくことが当たり前だと無意識に刷り込まれている人間からしたら理解され難いのかもしれないけど、凄く眩しく感じた。

 

 

 最後に妻が残していった「数式で説明されたくらいすっきりとあなたの希望は私に届いてる。私もその希望を希望します。」という言葉からは、野田という愛する人の希望や理想を理解し共有したかったのに、もうそれが出来ないというやりきれなさや悲しみ、理解されない苦しみに打ちひしがれていた野田を少しでも救いたいという想いがひしひしと伝わって切なかった。