観劇感想『クランボンは笑った』 2019.8.24(sat)
『――月夜です…。だから出てきました…。夜行性の、猫科の動物のように…。「末期症状の患者ばかりを扱っている」病院の裏庭。月光の下、病室を抜け出してきた女と、そこに現れる白手袋の男。遠く、北行きの最終列車が走り抜ける。』(パンフレット記載抜粋)
白いパラソルをさした女性。元からそういう人物なのか、死が切り離せない状態になってからそうなったのかはわからないが、表情から感情が読めなくて、わからないが故に不気味な印象を受ける。
下手奥から突如やってきた男性が、女性の為に椅子やテーブル、テーブルクロスと花瓶に生けた花を準備する。まるでそれが義務であるかのように。
結末を言ってしまえば、末期患者である女性と葬儀屋である男性、裏庭でお茶とサンドイッチを食べながら会話をしたのが、二人の最初で最後のやりとりだった。
雑談の中で、女性と元同室の患者だったが既に亡くなっている老婆の話題が上がる。老婆が墓まで持っていきたかった秘密を聞いてしまったという葬儀屋。それに対して静かな怒りを抱く女性。「どうしたら良かったか?」「どうしたら良かったかなんてあなたの気持ちはどうでもいい。」そんな身も蓋もないやりとりが行われる。あんまりだと思う反面、もっともだと思ったのは、私が第三者であるから抱く感情なのだろうが、はっきりと拒絶された男性側からしたらたまったもんではないだろう。
利己的で身勝手な人間の汚さや醜さや狂気的な空間が目の前で広がる。視線、呼吸、わずかな動きで咄嗟に反応し合う二人は、本当に命の駆け引きをしているようで、つい演技だと忘れて見入ってしまう。女性がサンドイッチに仕込んでいた毒を男性は飲まされ、女性は自発的に飲む。その毒は一人で死ぬつもりだったのか、誰かを道連れにしたかったのか、男性の悪気のない罪を老婆の代わりに裁きたいという潜在意識があったのか。
観終わったあと、葬儀屋の席に座っているのが私ではなくて良かった、と初めて生贄を捧げるような気持ちになった。