観劇感想『財産没収』 2018.12.9(sun)

 

 あらすじ『酔っ払ったテネシーが恋人とともにふらっと立ち寄った空き家。彼はそこで、亡霊を見る。作品へのインスピレーションを受けた彼は、本来の登場人物であるトムとウィリーのセリフをつぶやき始める。劇世界を立ち上げていく過程で、本来登場しない、ウィリーの姉アルヴァ、ウィリーの家を査定しに来た調査官の女、そしてテネシーの実際の姉が現れ、彼にのしかかる家族への思いと、それを書き、演じることへのただれるような欲望があらわになっていく。』(フライヤー記載抜粋。)

 

 私は、テネシーという人物も、作品も、何もかも知らない真っ新な状態で劇場に足を運んだ。

公演が始まる前に受付にいらっしゃった方が、「戯曲を知っていた方がより分かりやすいと思うので」と、『財産没収』のテキストを貸し出していた。時間もあったのでさらっと目を通し、「なるほど、少年と少女が線路の上で会話しているのだな」という情報を入れていざ観てみると、全然違った。

 

 舞台で表現される場面も、役者の数も、テネシー・ウィリアムズが書いた「財産没収」と、何もかも異なり、ただ一つ『財産没収』の中の台詞は変えずに物語が進んでいくといった、今まで観たことの無い作品。

しなやかな体、艶のある台詞の紡ぎ方、細部に洗練された表情、そういった視覚が拾い集める情報は受け止められるのに、内容が不思議と頭に入ってこない。

 今思うときっと私は、キャパシティの少ない脳内を必死に働かせて、テネシーと山口氏の意図を汲み取ろうと必死になっていたのだと思う。だが、両者を知らない私がそんなことをできるはずもなく、ただただ傲慢だった。

 

 観終わったあとに同じ回の公演を観た方と少し話していたら、その様子を見ていたサファリPの方が「なんかいいですね、そういうの。この公演はテネシーを知るきっかけになればいいなと思っているので。」とさりげなく声をかけていった。その言葉で、私の中で何かがストンと落ちた。

 

 そのあと、テネシー自身が内向的な人物であったことや、自身の姉(訳あって廃人になってしまう)を様々な作品に投影していたことを知り、テネシーは物語の中でだけでも姉と会話したかったのかなと思ったりもした。それが顕著に表れたのが『財産没収』だったのかもしれない。