観劇感想『赤鬼』 2020.1.18(sat)

 

 『この洞窟に暮らした赤鬼が刻す。この絵が俺たちの祖国だ。海の向こうだ。けれども俺たちは、海の向こうを知らない。遠い昔に、そこを出たから。俺が生まれる前、遠い遠い昔に、その岸辺を離れた。その土地の平熱は38度。そこには、至福の真昼があった。』(フライヤー記載抜粋)

 

 赤鬼、という作品の名前は何度か耳にしたことはあったものの物語の内容自体知らなくて、この時は先入観を持ちたくないという気分だったので敢えて調べず観に行きました。

 

 客席が対面式で舞台を挟んでいる舞台で、舞台セットなどは置かれておらずふと目に付くのは床に記されている線と線が交錯する何か。矢印でもないし記号でも文字でもない不思議な線。

 村人として登場する役者達がコンテンポラリーダンスで無機物を表現していく中、始まりの、まるで花びらが一枚一枚散っていくような身体表現が美しくも少しざわっとするような冷たさを感じました。

 

 トンビや、妹(あの女)やミズカネ以外の村人が赤鬼と呼ばれる異国人を受け入れられなかったのは、先入観と理解できない(しようとしない)から来る恐怖と嫌悪感。同じ言葉が話せる者同士でも虐めや差別が無くならないのは自分が一番可愛いから。そんな、人の愚かで醜く誰もが根っこには持っている部分が柔らかく表現されていて、もっと尖らせることもできたであろう部分も観やすかったなと思いました。

 

 

 連なり組み合わさった人で出来た土台の上に立つ妹からは、民族音楽のようなBGMも相まってか、絶望というよりは清々しい希望の色が強く感じて、村でこれから過ごす未来なんかよりも死して赤鬼と同じ場所へ行く方が妹にとって良かったのかなと解釈してしまい、少しやるせない気持ちになりました。