観劇感想『楽屋‐流れ去るものはやがてなつかしき‐』 2018.5.6(sun)

 

 あらすじは『ある舞台でチューホフの「かもめ」が上演されている。ここは、主演ニーナ役の女優Cの楽屋。出番のため女優Cが出ていくと鏡の中から姿を現したのは、右目に大きな傷を負った女優Aと首に包帯を巻いた女優B。二人?は日々蓄積をほじくり返しながら永遠にやって来ない出番を待つ亡霊… そこに、枕を抱えた女優Dがやってくる。舞台を終えて戻ってきた女優Cと噛み合わない会話を繰り広げる女優D。押さえ切れない自負、怒り、恐怖に女優Dを殴ってしまった女優Cは楽屋で一人、己の蓄積、覚悟、生き様を確認し実へと帰っていく。戻ってきた女優D、残された女優A、女優Bは虚へと歩み始める…』(パンフレット記載抜粋)

 女優ABのクスっとさせるような言動と行動とか、女優Dのゆったりとした動きの中に不気味さを混ぜた気持ち悪さとか、女優Cの嫌味な部分が垣間見えつつも憎めず実は芯がある所が、個人的に好きです。

 

 空襲で亡くなった女優Aと男のために死んだ女優Bが、女優Cが楽屋からいなくなったあとで行う掛け合いの中で、生前プロンプターだった時に覚えたのであろう台詞がトントン飛び出してくる。

女優Dは枕を抱きしめながら「私、健康になったの。だから返して、私の役。」「かもめの作者から電話があって、私が演じるニーナを観たいと仰ったの。」といったニュアンスの言葉を女優Cに放ち言い寄る。

結局最後、女優DABと共に楽屋の亡霊となるが、何が彼女たちをそうさせるのかといったら、演じることに対しての執念、の他に無いのだと思います。

プロンプターで役者の手助けをしていた時も、役者に何かあったら自分が代役を務めてやるという意思の強さがあそこまで台詞を頭の中に叩き入れさせたのであろうし、女優Dの噛み合わない会話も(恐らく)自分が演じるのだという強い妄想が現実とごちゃ混ぜになってしまった結果なのだろうなと感じました。

 

 まるで楽屋は実と虚の境界線で、出入りできる者だけが現実と虚構の世界を行き来でき、楽屋に居続けることを望んだ彼女たちは虚構の世界で生き続けなければならない。楽屋の亡霊をやめて成仏できたら楽なのかもしれないけれど、彼女たちの女優としてのプライドや欲求が満たされない限りは無理なのかなと想像した、そんな作品でした。